青森松原教会ホームページ

青森松原教会は127年の歴史を持つ、キリスト教の教会です。

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気づきの時

9月17日(月)は「敬老の日」で、小学校は休みだった。

朝6時前に孫たちはすでに起きていた。いつものように朝食を準備し、食卓を整えていた時のこと。「おはしが無~い」、「牛乳持ってきて」などと、テーブルに着いたままで要求ばかりしていた。私は「自分で出来ることは自分ですること!」と言ったが、全く聞く耳が無かった。仕方がないので私が持って来て朝食が始まった。

食べ終わって後片付けの時に、「今日は何の日だっけ?」と聞いた。すると下の女の子の方が、「あっ、敬老の日だ」とつぶやいた。そのとたん彼女の目がキラリと輝いた。すると突然「バーバ、肩たたいてあげるネ」、「腕もんであげるネ」、「足も疲れたでしょう?もんであげる」と両足をもんでくれた。次に、テーブルの食器を台所に運び「バーバ、いつもご飯作ってくれてありがとう。後片づけはまかせてネ」と、洗い場を洗剤のアワいっぱいにしながらきれいに洗ってくれた。

「今日は何の日だっけ?」から始まった「気づき」の後の積極的な思いやりの行動に、私は目をみはり、小学校で校長先生や担任の先生方を通しての日頃のご指導がこのような形で身に付き、子ども達は身心共に着実に成長しているのを感じた。

恵み豊かな神さまに感謝で一杯の「敬老の日」だった。(R.E.)

教会バザー

22日(土)に教会でバザーが開催されます。

どうぞ、どなたでもお越しください。

この青森松原教会を地域の方々に知っていただくため、教会に足を踏み入れていただきたいと願っています。また、キリスト教会に馴染みのない多くの方々に、この機会に教会を見ていただいて、少しでも親しみをもっていただけたら幸いです。

私たち教会は、このバザーを、神さまに仕える尊い働きの一つと考えて、準備をしてまいりました。神さまに仕える喜びを分かち合いながら臨んでいきたいと思います。

今年もたくさんの品物が揃い、賑やかに開催することができそうです。献品にご協力くださったり、祈りに覚えてくださった、関係各所の皆さまに感謝いたします。(S.Y.)

実りの秋!

青森松原教会では、YOU・愛・バザーを開催致します。

<開催日時>
9月22日土曜日・11時~13時30分
手作りお菓子や製作品、掘り出し物の日用品等、お買い得品がいっぱい!
子どものコーナーでは、つりぼりやつかみどり等、お楽しみがいっぱい!
食堂やファーストフードコーナーでは、美味しい物がいっぱい!
この機会に、是非教会へおいでください。

私は毎年、子どもの教会のファーストフードコーナーで奉仕しています。
多くの皆さまにバザーに来ていただき、教会のことを知っていただければと思っています。
すべてのことは、神からきている。(Y. K.)

祈る時には

ちょっと前になりますが2018年5月18日(金)に北西地区連合婦人会の第1回連絡会後、八戸市の小中野教会小林よう子牧師による「讃美歌のルーツ~替え歌の豊かさ」という学習会がありました。連絡会の後に学習会がつくのは初の試みです。

讃美歌の誕生から現代までを教えてもらいました。とても面白かったです。日本にキリスト教が入ってきたのは1800年代で、当時の宣教師たちが讃美歌を一般大衆に広めるために様々な工夫をしたことを聞きました。また欧米の讃美歌の成り立ちも。比較文化学みたいで教会の女性の会の方が対象の学習会でしたが、もっと一般の方に呼びかけても人が集まるのではと思わせるお話でした。

讃美歌を見ていただきたいのですがタイトルの左脇に小さな文字で「ジュネーブ詩編歌」と書いてある歌が多くて(これは何の意味なのだろう?)と思っていましたが誰にも聞いてみたことはありませんでした。そのことも話されフランスの宗教学者ジャン・カルヴァンの広めた讃美歌についていることがわかりました。宗教改革ではドイツのマルティン・ルターが有名ですが、カルヴァンはルターと違った形で改革を行ったのです。

話は変わります。

女性の会では愛媛県久万(くま)教会の小島誠志牧師の『虹の約束』という説教集を学んでいます。その先生が『55歳からのキリスト教入門~イエスと歩く道』という新しい本を日本キリスト教団出版局から出されました。2015年に婦人会連合の「集い」で講師の先生として直接御本人から2日間にわたりお話を伺いました。1日目の講演が終わった後質問用紙を提出したら2日目に大変丁寧に説明していただき、初めての「集い」参加でしたのでとても感激したのを覚えています。私は今年55歳になるので『信徒の友』に書評が載ってからさっそく注文して買いました。私は2012年に教会へ通いだしその2年後に洗礼を受け現在はどこへ向かえばいいのかわからなくなっていました。小島先生はとにかく祈りを捧げるようにとおっしゃいます。「卒業信徒」という言葉があります。人間関係で挫折したのではなく、洗礼を受けてひととおりキリスト教はわかったという思いから教会に行かなくなった人のことです。そうならないためにはひたすら祈るようにとおっしゃいます。祈る時には神さまと向き合うのと同時に自分とも向き合うからです。

最後になりましたが、西日本の豪雨被害を受けた方々にお見舞い申し上げます。青森市で雨が降りその後何ごともなく晴れると胸が痛みます、土埃舞う40度近い西日本の現状をみると。どうか1日も早く人々に平安が戻りますよう神さまの御加護を。大変拙い祈りですが、主イエス・キリストのみ名を通して御前にお捧げいたします。

(M.T.)

キング牧師没後50年

アメリカにおいて人種差別のない社会を訴えた、黒人解放運動の指導者キング牧師が1968年に暗殺されてから、今年で50年を迎えます。

マーティン・ルーサー・キング(1929年ー1968年)は、アメリカのバプテスト教会黒人牧師の家庭に生まれ、幼少の頃から白人による黒人への人種差別を経験しています。
1954年、キング、アラバマ州モンゴメリーのバプテスト教会牧師に就任。
1955年、キングは、ある黒人女性がバスの座席を白人乗客に譲ることを拒絶して逮捕されるという事件を契機として始まった、バス・ボイコット運動の指導者に選ばれ、アメリカ南部の人種隔離制度を撤廃し、黒人に公民権を獲得させる運動に携わることになりました。彼は逮捕されたり、暴行を加えられたり、自宅に爆弾を投げ込まれるなど、迫害や脅迫を受けながら、暴力に対して、「非暴力」の抗議運動を続けていきました。
1964年、キング、ノーベル平和賞を受賞。
1965年、キング、ベトナム戦争に対して反戦の立場を表明。
1967年、キング、黒人・白人両者の貧しい人々を救済するために、政府に貧困対策を要求する運動の計画「貧者の行進」を発表。
1968年、キングは、39歳の短い生涯を終えました。

「非暴力」による手段で、平和と平等を求める運動を推進したキング牧師の思想の根拠は、「敵を愛しなさい」というイエス・キリストの教えでした。
「あなたがたも聞いているとおり,『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイによる福音書5章43-44節)
キング牧師は、次のように述べています。
「あなたの家を爆撃するような人間を好きになるのは、至難の業だと思う。・・・公民権を無効にしようと、来る日も来る日もやっきになっている国会議員を好きになるのは、むずかしいことである。しかし、イエスは、そのような人々をも愛しなさい、と言われている。愛することは、好きになることよりもすばらしいことである。」(コレッタ・スコット・キング編、梶原寿・石井美恵子訳『キング牧師の言葉』日本キリスト教団出版局、1993年)

キング牧師の関心事であった人種差別、貧困(貧富の格差)、戦争という「三組の悪」は、現代においても、克服しなければならない大きな社会問題です。
真の平和と平等が実現するように、祈り求めましょう。(M.N.)

ビッグ・ニュースに思うこと

この6月、色々なニュースがありましたが、世界的にも大きかったニュースは、12日にシンガポールで行われた『米朝首脳会談』でしょう。
それまで、トランプ大統領と北朝鮮の金正恩最高指導者は、祖父と孫というほどの年齢の開きがありながら、お互いを罵り合い、脅かしあい、世界のニュースとなってきました。

漫才のように笑えているうちはよかったけれど、北朝鮮の度重なるミサイル発射の中で、この青森でも具体的避難の仕方が報道されました。私の姉は昭和10年生まれですが、そのことに対し、「アメリカが原爆を落とす戦力だった戦争時、日本は竹槍やバケツリレーの練習をしていた。政府の言うことなんか、全くあてにならないし嘘ばかり。ミサイルの避難なんか馬鹿馬鹿しい」と言ってましたが、私も賛同です。

そのうちに『戦争』に発展するかもという懸念が膨れてきて、日本政府は防衛に備え、一基700億円と言われるイージス・アショアを二基配備することを決めました。そればかりでなく上昇する日本の防衛費です。
戦争への備えを考えるのなら、その前にもっと平和への道を模索し、具体的に進めるのが世界の為政者のすることでしょうが、と思い続けてきましたが、驚いたことに戦争の発火点になるのではと目されていた、米朝の首脳が180度方向転換!!会談するというのです。思いがけないことでした。
どのように展開するのかはこれからです。直近のこととして、この会談が日本にとって、拉致被害者の帰国に繋がることを願っていますが、会談後日、北朝鮮メディアは「拉致問題は解決済みなのに、日本は引き続き持ち出して、自分たちの利益を得ようと画策している」とあからさまに悪しきを報道しました。これも、北朝鮮の作戦、駆け引きなんでしょうか。

世界中の国々の為政者が、幸せになる人など誰もいない(もしかしたら為政者と軍需産業当事者は幸せ?)軍備・防衛費に莫大な税金をつぎ込み、人々の不安をかき立て、軍備・防衛は必然と信じ込ませています。
トランプ大統領と金正恩最高指導者に振り回されてきた、これからも振り回されるであろう世界の人々。ことはそんなに単純でないことを知りながら、米朝首脳会談が世界の国々の平和への一つのキッカケになることを願っています。

戦争や内戦のない世の中になることを願う者として、自分の毎日の中で求められていることは、人を排他せずに受け入れていくことと思っています。イエスさまがそうされたように。気に入った人や自分の益になる人とだけではなく、どんな人をもとなると“そんなこと出来るわけないじゃない。人間だもの”と言いたくなりますが、イエスさまは愛でそのことをされ続けました。苛立ち、葛藤しながらもイエスさまの愛を、自分の中に少しでも蓄えていくような生き方をしたいと願っています。(S.K.)

わたしの恵みはあなたに十分である

「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ、十分に発揮されるのだ」
コリントの信徒への手紙二 12章9節

私には弱さがあります。

特に色々奉仕したあと、疲れからでしょうか、うつになったり、思うように活動できなくなります。調子よくやっていると、なぜか、急にできなくなります。有頂天になっていたのでしょうか。それとも傲慢でしょうか。

神様にどうしてですか? と祈ると、コリント信徒への手紙二 9節の御言葉が心にひびいて来ます。この御言葉はパウロに与えられた御言葉です。パウロでさえ弱さ以外は誇るまいと言っています。

私も誇るまい。

私は統合失調症という病をもっています。でも、神様は私の恵みはあなたに十分であると言っておられます。感謝しています。

アーメン。(N.T.)

マグダラのマリアを想う

○自分の年齢を考えると、「いつ死んでもおかしくないトシになった」と思いつつも「もっと生きる」ことも悪くないなあとの思いも止むことのない私。今回4月号の『信徒の友』を手にして、「マグダラのマリア」(太田智子姉・著)の記事を見出して、この思いはさらに強められました。

○私がキリスト教に結ばれたのは、小学校時代の遥かな昔のことでした。途中に信仰の厚薄を幾度も繰り返しつつ今日に到っています。一昨年、五所川原教会で行われた日野原重明兄の講演会で、以前お世話を頂いた牧師さんとお会いした時「奈良さん、洗礼受けたの?」と不思議がられた程なのです。

○どういう事なのか我ながら不思議でならないのですが、聖書の中の人物で頭に濃く焼き付いているのが、マグダラのマリアなのです。この人の行跡などひとつも知らなくて唯、娼婦をした人、という事だけが強く焼き付いているのです。娼婦という事がどんなことなのか全くわからない頃からの出来事なのです。太田姉の説明によるとマグダラのマリアを題材とした絵画が、世界中の著名な美術館の華的な存在として扱われているのも私の好奇心を誘っている気もしますが。ルネッサンスの波に乗った点も幸いしているのでしょうか。

○十字架上で刑死なされたイエス様が神として復活されたお姿を見せたのが最初に「マグダラのマリア」だったというエピソードを「さも有りなん」と私たちの信仰を肯定させる力を示しているのではないでしょうか。

各美術館の推挙により娼婦という過去が正され「『使徒の中の使徒』として位置付けられている」の結びの言葉は私の祝福の言葉としても満足できる気持ちでこの文を終わる事に致します。(K.N.)

穴があったら入りたい話

青森松原教会では、毎週水曜日の10時30分から『聖書を学び祈り合う会』を行っています。祈祷会のことです。どなたでも参加することはできますが時々休会になることもありますので、いらっしゃる際には、教会ホームページで確認されたり電話で問い合わせなさったりする方が間違いないと思います。

新しくいらした半澤洋一牧師と、旧約聖書のなかにあるヨブ記を学んでいます。

4月25日(水)は、ヨブ記の2章4節~13節で、『「幸(さいわ)い」とは何か』というテーマで学びました。財産、家族、健康など「所有する幸い」ではなく神さまと人間との「関係の幸い」が大切なのです。主イエス・キリストも山上の説教などで、神との関係を結ぶことの幸いを説いています。聖書は旧約聖書、新約聖書のふたつから構成されている、神と人間との関係の書です。その関係が破れることが、人間の「罪」です。

私は前日に大型ジッパー・サムインデックスつき聖書を買ったばかりなので、喜んでその聖書を持って教会に行っていました。もちろん前の聖書も一緒です。まだ新旧の聖書の引き継ぎは済んでいません。善隣館書店さんの定期便で4月24日(火)に教会に届けていただいたのです。

老眼で聖書の字が見にくくなっていたので思い切って大判タイプを買ってみました。A5判に印刷された10ポイントの字はとても見やすいものでしたが、25日の祈祷会のテーマとは相反することをしたように感じられ、穴があったら入りたいと思いました。まさに「所有する幸い」であると感じたのです。

極度の近眼なので新しく遠近両用眼鏡を作るとすると100,000円以上かかります。多くの場合は数万円で済むらしいのですが。そう考えると新しい聖書は7,776円で安いと思いました。だから所有欲にとらわれた幸いではないと思うのですが、違うような気もします。

4月22日(日)の礼拝後、女性の会の4月の定例会がありました。牧師さんも参加されて「日本ではキリスト教徒の寿命は洗礼を受けても2・3年という場合が多い」とお聞きしました。4月18日(水)の祈祷会では「私たちの神さまをつかむ握力は弱く信仰を放してしまいそうになるが、神さまの握力は強く、信仰に私たちを導いて下さる」と学びました。   私は2012年から教会に通い始め2年後に洗礼を受けました。2018年度は洗礼を受けてから5年目に入ります。ちょうど最も信仰を投げ出しやすい時期になりました。投げ出さず、淡々と礼拝を捧げたいと思います。 (M.T.)

ある本との出会い

この本と出会ったのは2018年3月。

書名『津軽を拓いた人々 ―津軽近代化とキリスト教―』
興味をそそられて開いて見ると、「相澤文蔵著 弘前学院出版委員会編」とあった。
弘前学院は私の出身校だった。

この本について:
本書は、相澤文蔵(1912~1993)による「津軽の近代化とキリスト教」と題する『陸奥新報』に掲載された111回にわたる連載記事を集成したものである。昭和59(1984)年11月から昭和61(1986)年12月までの2年余に及ぶ毎週土曜日に掲載された。著者は全連載をファイルし訂正、補充のペンを入れていた。本書はその修正・補充を典拠にした。

プロテスタントと近代化について:
プロテスタントの初期メソジスト派の牧師の大半は津軽出身者であった。その中心人物が本多庸一(1848~1912)であり、その後続者たちは本多庸一の分身であるかのようだった。彼らはキリスト教を基礎として政治・経済・教育・産業などの各界で活躍した。初期メソジスト派の活動の特色の一つは外人宣教師の多大な協力により、伝道所、教会、学校の創設にある。その中の学校は公立、官立でなく弘前女学校(現・弘前学院大学と聖愛高校の前身)や東奥義塾という私立学校であった。(以上は、笹森建英氏の解題よりの抜粋)

この本を読んで感じた事は読みやすく、飽きさせず、写真も多く、次のページをめくることが楽しかった。私にしては珍しく数日で読み終えた。今まで知らなかった“ 津軽のキリスト教の歴史”について学ぶことが多くあった。

皆さん!!  是非、この本を手に取り読んで見てはいかがですか!!
(この本との出会いによって、何かが変わるかも!?) (R. E.)